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「やまとなでしこ」のたしなみ? ディスカバー着物!

「虫干し」なんて言葉はもはや死語でしょうか。クライアント先で「ようやく今年も恒例行事(着物の)虫干しが終わってね・・・」と話したら、ぽかんとして「先生、今の・・・ムシボシってなんですか?」と聞かれました。
※虫干しとは、カビや虫害を防ぐために、着物や書籍などを日に干したり、風にさらしたりすることです。

もったいないことに我が家の着物は着た回数よりも、虫干しをしてる回数の方が多く、せっせと買い足してくれた母には申し訳ないことです。新品の状態で、仕付け糸さえもとってない着物もあり、振袖をはじめ黒留袖、喪服、訪問着、大島など、着るためではなく、風を通すために、そして見るだけのために、年に一度だけ着物箪笥の引き出しをあけるのが、秋の連休中の恒例行事になっています。

10年程前のことです。その頃は年に一度どころか何年も箪笥の引き出しを開けることさえしませんでした。でも若い人が夏に浴衣を着て花火大会に出かける姿を頻繁にみるようになり、せっかくだから大人のたしなみとして、涼しげな着物で食事に出かけるのもいいなぁ、と強引に会食の機会を設けました。
さて、着物を着る直前、開かずの箪笥を開いてみると、金箔が剥がれかけているもの、絞りが伸びかけているもの、湿気でカビが生えたかと思うほどじっとり重くなっているものなど、無残な姿になっていました。それを見て決意しました。もう洋服だけでもお手入れが大変なのに、こんなに着物はいらない。モノをもたないミニマリストになろう。そうだ、処分しよう。母よ・・・許せ。

和装は、着物単体でなく帯や小物にも気を遣いだしたらきりのない、高価な衣装だと思います。今どきのファストファッションは、おしゃれで安くてお手軽です。こんなにパフォーマンスの悪いものがあるでしょうか、着物は着たあとのたたみ方も面倒で、洗い代だって高額なんだぞ~。しかし、その日は処分する時間もなく、夏着物を取り出して終わりました。
翌日は久しぶりに着付けをし、京都での会食にでかけました。

はたして着物を着る機会を長く逃していた私は、その着心地が新鮮でした。かつては、食事をするのも胸元が締め付けられて苦しくて、足もまっすぐに出すことができないし、こけそうになるしで、和装のよさがさっぱりわからなかったのです。
それが、どういうわけか、すこぶる気持ちのいいものでした。
まず姿勢がよくなる。そして歩き方が変わることに驚きました。こんなに着物って背筋が伸びるものだっけ?普段ではない感覚に身体が心地よい緊張感をおぼえているようでした。肌を露出しているのは、首から上だけ。ほぼ全身を布でしっかり巻き付けられた感触は、自分と外界とを区別するので、人やモノとの距離を感じさせ、そのことは安心感につながりました。

女性と男性の「らしさ」にこだわるのはナンセンスなご時世ですが、ツタンカーメンのように、いえタケノコの皮のように何枚もの布に包まれた和装は、つつましやかな、女性らしさ養成ギプスでした。不自由、だからこそ動作が慎重で丁寧になります。ものを取るのもすこし面倒で、袖口が狭くさっと腕を伸ばせず、まず箸をおいてから袖を持ち、ゆったりとした身振り手振りになり、モノを両手で扱うことが無意識にできています。
つまり、これが日本らしいおもてなしや丁寧さに通じる、しぐさなのでしょう。

会食後、お店から散歩がてらに歩いていると、自分の姿とは対照的に欧米人らしき女性がタンクトップにショートパンツ・ビーチサンダルで嵐山観光をしていました。ボリューミーでセクシーな美脚姿やファッションは魅力的です。いつもなら眩しく、外国人の開放的な身体に劣等感さえ感じてしまう私です。しかしその日ばかりは、ディスカバー日本美!やまとなでしこもいいものよ・・・と思えました。
ちなみに男性の着物姿は、はっとするほど粋ですね。大和魂が垣間見られるからでしょうか。

その日から、長い年月を経て着物と出会い直し、今に至ります。一度は処分しようとさえ思っていた着物なのに、どうやら京都の着倒れともいうべき先祖からの着物好きDNAが、私の中にうっすら残っていて、捨てるよりも残すことを選んでいました。
そして、さらにディスカバーがありました。着物箪笥の引き出しの奥に、祖母の写真を見つけました。着物姿の祖母が初節句の私を抱いている姿です。そういえばサザエさんの「ふね」のように、祖母はよく着物をきていました。

とはいえ、やはり最近も虫干しばかりで満足しています。着物を着ることからは遠ざかってはいるけれど、年に一度の行事がある幸いを愛せるようにもなってきています。行事というほど大きなイベントではないですね、でもそれはただの雑用ではなく、効用となっています。
着物を見ているだけで女性らしさを醸成できる。そのことに気がついたのは喜ばしいことでした。
自分の中にある日本らしさを誇れるように、背筋を伸ばしてひと様とのほどよい距離がとれるように、そしていつか、歳を重ねたとき「ふね」や祖母のような、着物が似合う女性になりたいと願っています。