エビ目線??
ひっ、生きている・・・。
中華料理店でお椀型の蓋を開けると、そこには紹興酒をかけられたエビが飛び跳ねていました。踊り食いということらしいのです。
ひャ、ムリムリムリムリ。を連発していたら、店の人が引き取ってくれました。ほっ。いくらなんでもグルメが過ぎるんじゃないかと思うのでした。「生きながらにして、食べられるなんて地獄絵図が目に浮かぶでしょ、私がもしエビならって・・・。」
その話を聞いていた年若い知人は「すごいッスね、エビ目線スか」と、言って笑いました。子供っぽさを指摘されたようで、恥ずかしくなってしまいましたが、そうだ。動植物だけでなく、普段のひとづきあいでも「もしもこの人の立場だったら・・・。」という立ち位置を忘れないでいられたなら、視野がぐんと広がるし、むやみにひとを傷つけずにすむかもしれない。わたしのような自分本位で、たいていの物事に前のめり気味な人間にはなおのこと、相手のことを想う。というのは大切なのだ。
そんなことを、つらつら考えつつも、今度は家にいるモノ言わぬ住人たち(植物や家電)の目線になってみました。 「どうしてこうも、レンジ扉の開け閉めが、荒っぽいのかね」「ちょっと!こんな時間からパン焼きだしたけど、他にすることあったんじゃないか?」などと、思われているかもしれません。 生き物だけでなく、愛着ある無機物には、魂が宿っている。そういう想いこみはわたしを救う。といったら大げさでしょうか。今日も、ベランダのバジルたちに見守られている。冷蔵庫や掃除機にも・・・。
とりわけ家事が得意でないわたしには、愛すべき家電たちが、頼れる兄さん姉さんに思えることもあります。「ヨシダ兄さん!今日も、いい仕事お願いしますっ!」慌ててボタンを押したわたしに「おう、まかせとけッてんだ」と、炊飯器は軽やかな音で応えてくれました。